雨の降る日は温かいカフェラテを…

創作話のような日記のようなそんなテキトーな感じの

人恋しくて

自分なんてあまりに放ったらかしで育ったせいか子供のころから大人の入り口の頃、悲しいほど常識が無かった

そのせいで嫌というほど恥をたくさんかいたしつらい思いもした


けど泣きたくなかったし家族に鍛えられいたせいか(?)打たれ強かったので

いろいろな心細い事もつらい目にあった時も、嫌なことは早く終わらせた方が楽になれると立ち向かってなるべく笑っていたかった


そしてずっと褒められることなくどちらかといえば貶され続けて育ったため、自分に自信がひどく無くて「人のふり見て我がふり直せ」…では無いけど、なるべく人に関わって痛い思いをしても何かを学ぼうとしていた


それからあったいろいろなことは無意味に長いので今日は割愛する(笑)


そうしてずっと長いこと、まるで童話の青い鳥を探して…では無いけどあまりえんのなかった【心優しい良い人】にたくさん出会いたくて自分で新しい場未知のところになるべく出ていく機会を作ろうとした


そして一つ一つの出会いを大切にして来たつもりだけど、そもそも何か自分には欠けていたのか、出さないようにしている沁みついた孤独の匂いが知らずに悟られてしまうのか、人と仲良くなることはすぐ出来るように見えても、本当に心から打ち解ける事はそんなには出来なかった


何か根本的なことが違うのかしら?

そもそも、優しい人と人の繋がりなんてほとんど見たことが無かったし人の優しさや温もりも感じたことはあまりなかった気がする

だからか見よう見まねで違う人、あちら側の普通の生活してる?優しい人を演じて?みてもアンタ違うでしょ?とバレるのか?


けれどもやっと最近は人に「友達が多いね」「誰とでもすぐ打ち解けられるのね、羨ましいな」と言われることが多くなってきた


それでもどこか借りてきた猫のようなのかも(笑)

「こちらからは相手を心から信じる。相手から裏切られることがあっても許す。」なんて思っても、ほどほどに仲の良い人はいるにしても基本的に一人の方がやはり心が休まるのをしみじみと通過して、一人がメイン、誰かと一緒にいるのはサブ、【仮の状態】ということに落ち着いた

借りてきた猫

仮の姿、家猫の様…


そう結局のところ長い年月、人の温もりを求めて来た結果、落ち着いたところが独りの世界だった

やっと己を理解出来て来た気がする

もう無理して人生修行も自分磨きするのもやめた!


ふっ…と息を吐いて力をスウ〜っと抜く

やっと心の重荷が取れ身体がすっかり軽くなったような気持ちがする


最初から無理せず独りでも良かったのかもしれない

けど何も出来ない人間だと自己嫌悪の世界に落ちそうで、やっぱりいろいろなことにちゃんとチャレンジしてみてほんの少し、ある程度は結果も出せたかなと思う


長い間、いろいろな出会いをたくさん出来たしいろいろ知って勉強出来て本当に良かったと思う


要は大勢の時は大勢との予想外の愉しみ

独りは独りの贅沢な自由という愉しみ

その時その時、置かれた状況でいろいろな愉しみを見つけるのが嬉しいんだということなんだよね


何も出来ないし分からなかった

たくさん悲しい思いをした

あの子供の頃にさよなら出来たのは本当に嬉しい


つらかった思い出が多い子供時代

だけどそれがあったから今の自分になれた


良かったなぁと思う気持ちと、何となくどうにもならない切なさやるせなく思う気持ち

ちょっと複雑


もっともっと、毎日を充実させていこう


日々を大切に

感謝の心も大事にして




初めの頁、個人的な具体的なことを書くのは嫌だなと思ったのでこんな感じのちょっと抽象的な(奥歯に物の挟まった?)話でした


これって小説のような日記のような…を書こうとしたけど、もしかしてエッセイのようなものになったのかな?


ま、オチが無いけど今日はこの辺で…👋