古い映画の話
今、録画しておいた「ヒューゴの不思議な発明」をみている途中
子供のセリフが心に刺さった
「機械にでも何にでも目的はある。人も。」
「人は目的が失われると壊れてしまうの」
言った子供は身近な大人を思い浮かべてた
私はその時
亡くなる前に火の消えた蝋燭みたいになってしまった生前の父を思い出した
「世間じゃ俺は無職の老人って言うんだ」少し苦しそうな顔だった
父なりに四十数年営業を続けた大事に誇りに思っていたお店を畳んで隠居生活を自分なりに大切にして頑張っていると思っていたある日のことだった
「働くばかりが偉いんじゃない、もう十分一杯働いてきたお父さんはもう十分すごいことをしたと思うよ。
日本は働くばかりが褒められるけど。外国ではたくさん働いたら早くにリタイヤして悠々自適な暮らしをするのが良いって思われているんだよ。
だからお父さん、日々楽しいことを見つけて心を動かす事。
日々大切に自分を楽しませる事が大事じゃないかな?楽しくない事は向こうからやってくる
。知らない人から良い話が来たら詐欺が多いけどね!😊」
お父さんは少し目に光が戻ってしばらく元気でいてくれたけど。長年の飲酒とタバコと食事に気を使えなかったせいで動脈硬化が進みどんどん老いと病気が進んだ。
生きる希望を失って死に向かってすすんで行く父に、何もできず他愛無い話をするだけしか出来なかった
いま私は生きる目的を自分ならに見つけようとあがいている。
それは着実に結果が出せるものではなく、難しく安定しない類のものだが、自分の置かれた環境と経験から最善の策だと思って必死に頑張っているところだ。
だが、全く誰にも認められず結果も出せていない。
家族に本当の気持ちを言えば不機嫌になられ、思うことを心の奥に完全にしまって、家族に期待される役割(家政婦の仕事)をやればやるほど満足するようである。私が何を考えているかなんてどうでもいい。仕事が大変でそれどころじゃない。
まあそれは確かにそうかもしれない。
けどなんだよ?
自分で社会人になる前にフワフワして、しっかり何も考えなかったからこうなってるんじゃないの?ただ働くのが嫌でフラフラしていたかったって言ってた。
まあいろんな事情で彼を必要とした時に彼を一生を共にする人として選んだのは自分だけれど。
自分なりに努力した結果、思うように人生は運ばず、振り回されて、今はジワジワとした不安を与えられて
、、、
だからこそ自分も経済的に独立して新しいステージに自分を進めたいと思っている。
これが形になれば自分も家族も楽に出来る。。
目的が失われると壊れてしまうの、、、
何を目的にしてもいいけど壊れてしまうのは嫌だ。
希望を失うのは嫌だ。
なればいいなあ形に。本当になります様に!
最後に話は変わりますが、前回書いたブログ、私を思い出しては、リメンバーミーのことでした。家族が当たり前に優しく思いやれる世界。
私には程遠く世界。昔とても切なかったけど
今では冷たい家族なんてありふれた世界なのかな?
最近、家族の話を聞かれて嘘をつきたくない時正直に言ったら凍りつかれた。
そして、そのうちの一人はそれが理由か分からないけどかもう友達はやめるって急に言ってきた。
そんなこんなの今日この頃。